ビートたけしさんが、自らの暴力団との関係を語りつくしたと話題になっています。

比較される島田紳助さんとは違い、厄介ごとの解決に仲介を頼んだことはなく、自分でケリをつけてきた、何度か会ったことはあるが不可抗力だった、といったことを生々しく語ったわけですが、今このタイミングで語ったのには理由がある、ということです。

ranking

※たけしさんは本当に芸人になりたかったのか?という視点の本[関連商品]





<以下引用>

週刊文春の2011年9月21日発売号によると、たけしさんは、1974年のデビュー以来、暴力団とのやり取りを巡って幾度となく修羅場をくぐり抜けてきた。

漫才コンビ「ツービート」の時代は、興行主に暴力団関係者が多く、客にウケないと脅された。80年代になって人気が出ると、組長の娘が会いたがっているという理由で暴力団に連れ去れたこともあるそうだ。

さらに、紳助さんとの違いも強調した。暴力団に仲介を頼んだり、お金を払ったりしたことはないというのだ。

フライデー襲撃事件後の1987年には、紳助さんのように右翼の街宣をかけられたことがある。事務所や警察も動いてくれなかったことは同じだが、たけしさんの場合は、その関係先の暴力団に1人で行って組長に土下座して謝った。この点が紳助さんとの違いで、「タレントとしてそういうのを上手くやって逃げるのも本人の芸」と言っている。

<J-CAST>

詳細はこちらを御覧ください。たけしさんを騙して組長に会わせた芸人についても書かれています。

 ビートたけしが暴力団との交際について全てを語った!

読んでみて、たけしさんのくぐり抜けてきた修羅場とその身の施し方に感心しました。

※そんな経験があってこそ、のこの映画?[関連商品]

その男、凶暴につき(DVD)

その男、凶暴につき(DVD)


紳助さんが暴力団との黒い交際で引退した後、暴力団排除条例施行の直前、という今のタイミングでこういった告白を行った理由は、自己弁護というよりはもっと広い理由があったのでは、という見方があります。

<以下引用>

「ある意味、たけしさんサイドからの文春と組んだキャンペーンでしょうね。警察も一枚噛んでいるんじゃないですか。たけしさんに宣言させることで、『このへんまではセーフ』というガイドラインを出したのだと思います。たけしさんは、デビュー前からズブズブな世界を垣間見ていますので、身の処し方をよく分かっているんですよ。だから、ああいう話ができて、ぎりぎりセーフラインを出したということでは」(事情に詳しい芸能関係者)

<J-CAST>

ガイドライン。

確かに「密接交際者」と認定される基準が曖昧なのが暴力団排除条例の問題点としてあげられています。

紳助さんはアウトの事例、たけしさんはセーフの事例として、世間に知らしめるのが目的なのでは、という解釈は、なるほどよくわかります。

ただ、たけしさんは理由があるとはいえ、暴力団幹部にお歳暮を贈ったり、葬儀に供花したりするなど、いわゆる「交際」ともとれることもしています。

このあたりについて、たけしさんの所属事務所のオフィス北野はこう答えています。

<以下引用>

「いかに降りかかった火の粉を振り払うかを正直に語っているだけで、正当化しているわけではありません。暴力団に土下座するのは問題がありますが、そこまで追い込まれてしまったということですよ。分かりやすい言葉で脅迫してこないので、警察への告訴といった一筋縄ではいきません。そのときは弁護士も立てていたんですが、らちがあかない状態でした。問題を簡単に解決できるなら、すでにやっています

<J-CAST>

右翼の街宣というのは自宅にもやってくるそうです。

そうなると、家族はとても日常生活を送ることなんてできません。

たけしさんはそれに自分で立ち向かいました。

紳助さんはそれができず、暴力団に頼りました。

誰もがたけしさんのようにできるとは思えませんが、選んだ道の違いは大きかったですね。

ひらめきBG(ブラック芸能人)リストの内容

 割とガッツリ名前あり→ geinou ranking geinou ranking

 割とガッツリ名前あり→ geinou reading geinou ranking

今旬ナビ!最新記事一覧はこちら

 

【関連情報】

ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った!「右翼にどけ座 ベンツで拉致される」

2ちゃんねるでは基本叩かれてます